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広瀬健一の達筆な手記の内容とは?両親と天才と呼ばれた死刑囚の生い立ちも調査

投稿日:2018年7月26日 更新日:

7月26日に広瀬健一の刑が執行されました。

これにより、オウムの死刑囚は全員刑が執行されたのですが、
広瀬健一は獄中でいくつかの手記を残していました。

 

その手記が達筆だと話題にもなりましたが、
広瀬健一は子供ころから天才と呼ばれていたそうですが、
両親はどのような方だったのでしょうか?

その辺りについて調べてみました。

 

広瀬健一の達筆な手記の内容とは?

広瀬健一死刑囚は2009年に死刑が確定していますが、
獄中でいくつか手記を残しています。

 

広瀬健一は獄中でA氏との文通を始めていて
2011年がA氏に対して残した手記を
ネットでの公開や本の出版を希望していました。

その際の実際の手記がコチラです。

とても達筆な字ですよね。

 

その手記の内容はコチラ

地下鉄サリン事件においては、一三人の方々の尊い生命を奪い、五〇〇〇人以上の方々に重軽症(ママ)を負わすという大罪を犯しました。

被害関係者の方々の苦痛の激しさは、私の想像が及ぶべくもないものと存じ上げます。謝罪の言葉も見つかりません。また人として許されない残酷な行為をしたことは、慙愧に堪えません。その贖罪は、私の命を捧げてもかなわないと存じております。

私がサリンを発散した車両では、一人の方が亡くなられ、また一人の方が重篤な障害を負われ、今も闘病生活を続けておられます。(略)このような重大な結果を自身の行為によって招いたという事実、そして被害関係者の方々が今も言葉に余る悲しみや苦痛に耐えていらっしゃるという現実が私の心から離れることはなく、生き続けていることが真に申し訳なく思います。

そのような状況においてまた、私には心苦しいと思うことがあります。それは、約束である手記の出版を果たしていないことです。地下鉄サリン事件の被害関係者の方々が原告となられた民事裁判において、代理人の方から手記を出版するようにとのお話があったのです。元信徒の手記を含む多数のオウム関連書籍が存在する今、軌を一にするものを上梓できるはずがなく、いかなる手記を執筆すべきか迷い続けて参りましたが、贖いに向けた行為をせずに無為に日々を過ごすのは許されないと思い、決心するに至りました。

少しでも何らかの役に立つことを願い、一般社会の方々や信徒・元信徒たちから寄せられた問いを念頭に置いて、執筆させていただきたく思います。
(略)

広瀬健一はこの手記で自分の罪を心から反省しているように感じます。

また、2008年にはジャーナリストから
大学生に向けてカルトへの入会を防止する手紙を書くように依頼されて
学生に向けた手記を残しています。

実はこの達筆な字は「汚い字では申し訳ない」
と、獄中でペン習字を習っていたそうですね。

 

この手記でも自分の罪の重さに反省し、
これから、同じような悲惨な事件が再発しないように
少しでも助けになればと務めている想いが書かれています。

 

2006年の広瀬健一の麻原の4女に向けた手記では

「私も何もしないのは情けないので、(中略)少しでも被害弁償ができればと思っています。ここにいても、やるべきことがたくさんあり、時間がいくらあっても足りないほどです。自分で仕事をつくっているのだけどね。まだ目に見える成果はなく、結果が出る保証もないのだけど、走るしかないですね」

と書かれています。

 

獄中でも自分ができることを見つけ、残された時間をムダにしないように生きるという覚悟のようなものがみえます。

 

そのような活動をしていたからなのか
麻原の4女はその後、

「精神的に教団から解放された広瀬さんの顔はどこか清々しく見えました」
と述べています。

 

広瀬健一の両親や天才と呼ばれた死刑囚の生い立ちとは?

それでは、広瀬健一の生い立ちや両親についても紹介しようよ思います。

 

広瀬健一は長男として東京で生まれました。

両親は共働きだったが、食事は必ずみんなで食べるなど、
絆の強い家庭だったそうで、
広瀬健一は明るい性格だったそうです。

 

子供の頃の広瀬健一の夢はエンジニアで、
小学、中学共にトップクラスの成績で
先生からの信頼も厚く「素晴らしい生徒」と絶賛しています。

 

高校は早稲田大学高等学院に進学し高校から大学院にかけて奨学金を受けて
学費はほとんど自分で工面していたそうです。

学生時代の広瀬健一は母親と一緒にメッキ工場でアルバイトもするほど
母親想いだったそうです。

 

早稲田大学の大学院では世の中の役に立つという理由で
半導体素子の研究をし、学校は首席で卒業。
総代として挨拶もしています。

 

このことから広瀬健一は今のような死刑囚になるとは考えにくいほど
優しい性格でまさに学生時代は天才といわれてもおかしくないような子であったことがわかります。

 

そのような心優しく天才だった広瀬健一はどうてオウムに入団することになったのでしょうか。

 

それは、学生時代に読んだオウムの本で、
当初は胡散臭さを感じていたが、
少しずつ、本に書かれいた特殊な現象を自分でも体験するようになり
オウムに興味を惹かれていったようですね。

 

後にわかったことですが
広瀬健一は被暗示性が高く、変性意識状態になりやすかったと。
つまり、洗脳やマインドコントロールを受けやすい体質であったようです。

 

その後、オウムではボツリヌス菌の培養や自動小銃製造の研究もしていました。

 

広瀬健一の両親については詳しい情報はわかっていないのですが、
両親が共働きで母親が工場で働いていたり
学費を自分で工面していたことからあまり裕福な家庭ではなかったんでしょうね。

 

サリンの事件で逮捕されたときも両親は

自分の息子がそんなことをするわけがない

と、必死に抗議していたそうです。

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